■ご祭神について
ご祭神は大国主命、素戔嗚尊(すさのおのみこと)奇稲田姫命の三柱です。 ご祭神の神徳は、福徳開運・縁結びをはじめとして、家内安全・商業繁栄・病気平癒・交通安全・漁業繁栄など多岐にわたっております。
■由来と歴史
祭神の事蹟は寛文六年(1666年)の仁淀川洪水で古記録が流失したため明瞭を欠いておりますが、大和の国三輪から神像を奉じて、阿波を経て吉野川を遡り、伊予国東川の山中に至り、その後、仁淀川洪水の時に河畔に流着したのを加治屋谷に斎き祀ったといわれております。
社伝によりますと創祀の時は延暦十二年(793年)であると伝えられています。
その後、元慶年間(880年代)に現在地へ祀られるようになりました。
いのの大国さまと称されて古くから上下の信仰を受けていますが、慶長九年、山内一豊が参詣した時、籾五俵を奉納する旨の一豊直筆の文書が現存し、それ以来、社殿の造営は手元普請となり江戸時代に六回の修築が行われました。
平成五年には創建千二百年祭が斎行され、神賑行事・結婚式直会に使用する新儀式殿が完成しました。
境内社として水神社、恵比寿神社、秋葉神社が祀られています。
お天気の良い日の朝9時半から夕方4時頃まで、拝殿のそばで「さすり大国」をさすって頂けます。
八角形の神輿で弘長三年(1263年)に藤原助影が奉献したという銘文が棟木に記録されてあり、元禄、享保年間に二度補修されておりますが、よく原型をとどめ、特に棟を飾る鳳凰は秀作であり国の重要文化財に指定されています。現在11月23日秋大祭に奉舁されているのは、大きさ・形が全く同じ模作神輿です。
■古式福俵の由来
ささの葉に俵と短冊を結んだ古式福俵は、椙本神社特有の授与品としておまつりされています。
まだ冬の最中、ささの葉を稲に見立てて、それを刈り上げる行事が一昔前、各地で広く行われておりました。
ささの葉はこのように春を迎える神事に由来しています。
また、俵がだいこくさまの像にともなって描かれはじめたのは鎌倉時代のころで、その俵には福徳開運・五穀豊穣の願いが込められています。
短冊の絵柄により 「椙本神社」の「だいこくさま」が「小槌」をふれば「小判」ざくざく と詠まれており、商業繁栄の願いが込められています。
このように、古式福俵には春を迎える心とだいこくさま本来の御神徳に由来しております。
古式福俵は神域内で一つ一つ手作りされており、御神前で清祓の儀式をとり行った後、多くの参拝者様にお受けいただいております。
古式福俵は1年の実りを約束し、幸福へ誘う道しるべとなります。
■古式福俵のまつり方
神棚の近く又はお床にたてかけておまつりします。
神棚、お床のないご家庭では、明るく清らかな部屋に、目線よりも高い位置におまつりします。
商売をされている家庭では、店舗や事務所の中でおまつりします。
ささの穂先が南か東を向く方向でおまつりしてください。
1年間おまつり頂いた古式福俵は、ご参拝の折に神社にお納めくださいませ。
1. みぬさとるはふりが家の朝戸出に あさめよろしく花を見るかも
鹿持雅澄(1791〜1858年) 高知市福井出身の国学者・歌人 【石碑の場所:境内西側】
古典の研究に生涯を捧げ、その書「万葉集古義」は万葉学の集大成であり国学研究の記念碑的存在です。この歌は江戸後期、当神社に滞在した折、早朝の境内に咲く桜の美しさに感動して詠んだ歌です。
2. いののかみ この川ぐまに よりたまひし
日をかたらへば ひとのひさしさ
折口信夫(筆名:釈迢空)(1887〜1953年) 【石碑の場所:境内東側】
日本の民族学者、国分学者、国語学者であり、釋迢空(しゃくちょうくう)と号した詩人・歌人。
折口信夫は三度にわたる土佐来訪時に民俗採訪のかたわら数々の歌を残しています。この歌は、いの町椙本神社の御神体が仁淀川河畔に流れ着いた伝説に基づいた歌です。
この歌を雅楽の調べにのせた"杉の舞"を秋大祭で奉納しております。
3. 紙を漉く 女もかざす 珊瑚かな
虚子の句碑 【石碑の場所:境内東側】
昭和24年10月20日、高浜虚子がこの地に遊ばれ、真砂子・立子両氏と共に紙漉作業をご覧になった際の俳句です。
4. 庭院清虚
磯部正男 (雅号:天池) 【石碑の場所:境内北側】
伊野町出身の書家。碑文は「庭院清虚」は庭は涼しく静かであるの意。